週刊ネコ通信

日記とか備忘録とか。

2019_12_03

1.

一周したミームは一体どこへ行くのだろう、ということを考える。シティポップは都市からの離脱→リゾートへの憧憬→バブル崩壊による死→インターネット概念であるVaporwaveによる復活…のようにどんどん身体性を失っていっていることに一種の文脈があると思っているが、永い旅を経て元の身体性を取り戻した時、シティポップは完全に死ぬのではないか?という疑念である。

所詮シティポップは後付けの概念であり、作り手本人らには大して関係ないというのも本音のところだろうから余計に気になる。所謂シティポップを創ってくれる方々はこれからもずっとシティポップを書いてくれることだろう。でも、あと数年後に一体どのような形になっているのかものすごく興味がある。

というようなことをSUPER VHSの新譜を聴きながら考える。

open.spotify.com

tamao ninomiya氏が参加しているということで聴き始めたがかなり良い。全面的に80年代ミュージックの換骨奪胎を大胆に成功させており、下手にアイデンティティを付加しないことによって逆にこの音・この文化が好きなんだという主張が浮かび上がってきている。「新・懐古主義」と言っても良いかも知れない。ここまで思い切って好みを前面に出された音楽を聴くとサカナクションのような作り手の意志が反映されたオマージュは逆に中途半端なのではないか?という疑念すら生まれる。そして「ス」。実は「ス」は一大キーワードなのである。

でも「love supreme」はコルトレーンの精神性に関連した60年代オマージュですよね、自分の中で納得がいかないのでもう少し聴き込む必要があると感じる。

 

 

2.

Roy HargroveのStrasbourg St. Denisを久し振りに聴くかと思ってYouTubeを開いたら元動画が消えており代わりにこの一月前にアップロードされた動画がヒットしたのでびっくりした。記憶が正しければ元動画は2012年の時点でアップロードされていたと思うがこんな名演でも消えてしまうのか…という無情さを感じた。この演奏、ピアノがプリペアド奏法を自然に取り入れているのとコード進行関係なく滅茶苦茶自然にモーダルチェンジしてるのと、ハーグローブのソロで書き譜か?というインタープレイが完璧で聴いててすごく楽しい。8小節1セクションの楽譜で前半がモーダル、後半はコーダルというのは実に上手く出来ていて、ハーグローブもそれを十分に理解していて観客サービスとして派手なフレーズを披露してくれる。トランペットという楽器は音域は狭いのに表現域はどうしてこんなに広いのだろうと不思議に思う。亡くなってしまったことが本当に悔やまれる。

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