週刊ネコ通信

日記とか備忘録とか。

2021_02_02

昔から取り返しのつかないことが苦手で、新品の機材を開封して指紋を付けてしまうこととか、絶対に使わないもの(愛用していたが既に壊れて使えない椅子) を捨てることとか、そういうことと向き合うのがどうも億劫で先延ばしにしてしまう。単に面倒というだけではなく、不可逆的な行為に対する恐怖みたいなものがある。あとはRPGでラスボスだけ倒さないとか、そういうのである。

 

壊れてしまったベッドを部屋の隅に押しやっていたので、ずっと居住空間が狭くなってしまっていた。狭いのだが、捨てるのはベッドに大して何か申し訳がない気がしていてそのままになっていた。だって捨てたらもう会えなくなってしまうからね。

そうした状態が2年ほど続いたが、こういうのは非常に精神衛生的に良くないので一念発起して先々週の休みに粗大ごみとして山奥の処分場に捨ててきた。

処分場は市内にあるのだが一度も行ったことがなく、スマホで道を確認しながら、軽トラを借りて片道40分ほどかけて山の方に山の方にひたすら寄っていったところに建物が立っていた。長いこと愛用したベッドだったのでゴミとして捨てることに躊躇してしまったが、そのまま引き返すわけにもいかないので淡々と手続きをしてきた。係員のおじさんは役所の人のようだったが、信じられないくらい愛想が悪かった。住民票の窓口であの態度だったら即クビだろう。一応こんな世の中なので「不要不急の搬入はご遠慮ください」という張り紙がしてあったが、6〜7組くらいのクルマが列をなして手続きをしていた。基本的に大型粗大ごみの処分場のはずなのだが、前の家族はフライパンとかなどを捨てていた。よくわからない。

 

iTunesの再生履歴なんかもそうで、最後の再生が5〜6年前になっている曲を最後まで聞き終えて履歴が「今日」になってしまうと、当時の記憶が消え失せてしまったようでやるせない気持ちになってしまう。だから、iTunesで曲を聞くときは極力最後の2〜3秒をスキップするようにしている(とても面倒くさい)。

スキップするようにしているのだが、ふと思い出して青葉市子の『0』を聴き返していたら一瞬で1時間が過ぎてしまい、全ての履歴が今日になってしまった。当時、みんなで青葉市子のライブを観に行った時にアルバムをまとめて買ってまとめてインポートしていたので、その他のアルバムの再生履歴は2014年の初夏になっていた。わたしは極度の出不精のため人生の中で観た数少ないライブの一つがあの時の青葉市子だったのだが、すごくよかった、という概念だけが2014年に取り残されている。まあだからなんだというハナシなのだが、要は時間が経つのは早いねというハナシです。

青葉市子の旧作アナログがそろそろ発売されるのだが、金がなくて全部は買えないのでどれを買おうか非常に悩んでいる…

ところでビクターの担当者は、この「いきのこり●ぼくら」のMVを途中でぶった切ってYouTubeにアップロードすることに何らかの呵責を覚えなかったのだろうか。