週刊ネコ通信

日記とか備忘録とか。

ゲーム音楽に関する思い出

数年働いてますが生活を満足に送れるだけの給与が支払われない。助けて下さい。

 

さて、「ゲーム音楽ディスクガイド」が発売された。

ゲーム音楽ディスクガイド──Diggin' In The Discs (ele-king books)

ゲーム音楽ディスクガイド──Diggin' In The Discs (ele-king books)

 

 ライターの方々がゲーム音楽をあくまで「音楽的な」観点から選び抜いたガイドであり、とにかく圧倒的な情報量(と細かい文字組)に圧倒される。順に読むようなものでもないのでパラパラとめくって楽しんでいる。明らかに相場の関係で通常入手不可能だろう…というものも複数含まれているが、これほどバリエーション豊かにサントラが発売されていた、というのを総覧できるのは面白いと思った。

ゲームタイトルごとの索引が付いていない(音楽的なディスクガイドだからでしょうか)のはいくらなんでも不親切ではないのかなあ…とちょっと思ってしまった。

 

 

さてそうして読んでみて、「音楽的な」面でゲーム音楽を捉え直しているとの大前提がある上で大変恐縮なのだが、しかしやはりゲーム音楽は極めて個人的な体験であり、客観的に音楽性を評価するのは生易しいことではないのだな、と気付かされた。

たとえそのゲーム音楽がどんなに音楽的に低級な内容であったとしてもゲームそのものにのめり込んでいたとしたらその音楽は本人にとっては大変魅力的に鳴り響くものであり、ゲームプレイの体験と強烈に結びつくことが所与とされているゲーム音楽を音楽性という全く別の枠組みで捉え直すことの難しさというのを認識した次第である。サントラCDのdigの結果良いゲーム音楽に出会えたとしても、何というかそれは一種邪道な部分はどうしても発生してしまうような気がする、というのが私の思いである。音楽の捉え方に優劣は無いものの、エアプでゲーム音楽を語るのはあまりにもったいないことをしてるね…という感情はどうしても発生してしまうし、多分それは多くの人が同じであると思う(だって友達の家で繰り返して遊んで耳に残っているマリオパーティの音楽に勝てる音楽なんてほぼ無いですよ)。

 

つまり要は各々が好きなゲーム音楽を主張すればハッピーということであり、わたしも思い出補正MAXで紹介させていただく。あの頃は良かったね…

 

大乱闘スマッシュブラザーズDX オーケストラコンサート(ライブ録音)

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(収録曲等は以下のwikiを見てください。作編曲者も載ってます。)

https://kirby.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%B1%E9%97%98%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%82%BADX_%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%88_(CD)

 

このCDなくして00年代のゲーム音楽オーケストラは語れない、というほどの最重要CD。当時のファミ通のおまけで付いてきた非売品なのだが、メルカリなどで多数出品されており相場価格はかなり低め。しかしかなり内容は良いものであり、スマブラDXにあの頃のめり込んだ人たちには是非購入していただきたい。本当に原曲重視のアレンジになっているから。

2002年8月27日(火)、東京文化会館大ホールでの録音(東京の小学生は夏休みだと思ってこの日程にしたと思われるが、地方民からしたら憤慨する日程だ)。新日本フィルの演奏のためか、若干演奏が荒い部分はあるが、全体を通してみれば快演と評価できる出来(でもやっぱり金管がちょっと弱い)。作曲者の一人である酒井省吾氏がオケ経験をお持ちのため、氏が主導してオケ編曲を進めたが、安藤宏和氏や池上正氏も編曲に関わっている(あのスーパー打ち込み安藤氏によるオケ編曲ですよ!)。

特にM5の「オリジナルメドレー」が感慨深く、当時繰り返し再生して聴いていた。「オールスター休憩所→フィギュポン→How to Play→終点→メニュー〜エンディング」というスマブラDX音楽スタッフの制作曲のみで構成されている点が素晴らしい。親のステレオ装置を借りて大音量で鑑賞した覚えがあります。懐かしい…

当時のファミ通には桜井政博氏による全曲解説が載っていたと思う。その文章を読んでゲーム音楽まで含めて本当にゲームが好きな人なんだな…と感銘を受けたものである。

このコンサートや2006年から桜井氏主催で開催されていた「PRESS START」は明らかにすぎやまこういち氏のドラクエオーケストラコンサートを意識して開催されていたものであり、その系譜はゲーム音楽を「卑屈なコンピューターミュージック」から解放し、ファンを満足させる編曲を施して十二分に音楽的に発散させるという意識の下、オーケストラという一種の表現の極限に落とし込んだという点で「音楽性」に満ちあふれている。ゲーム音楽を音楽的に発展させるには、それはもう文脈を完全に掌握したうえでユーザの体験を壊さないことを最優先に構築するしかないのだと思う。少しでも路線を間違えると、それはゲーム音楽最大の魅力をむざむざドブに捨てることとなってしまう(そうした意識から、私はネットに落ちている安易なゲーム音楽のトランスremixやハウスremixなどが大嫌いである。本当に許せない)。

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スマブラDXの音楽スタッフの座談会は今でも公式Webサイトから見ることができ、今読んでも実におもしろい。スマブラのオープニングで1拍ごとにBPMを変えているので「手拍子すると全部合わない」というのは当時もゲラゲラ笑った。

https://www.nintendo.co.jp/n01/n64/software/nus_p_nalj/smash/flash/0118/index.html

 

とても大切なことは、当時のあまりにも新鮮で色鮮やかな景色は今二度と見ることができない、ということなんです。ゲーム音楽の体験は永遠に当時に留められ、現在と結び付くことは絶対にありません。ただ思い出だけが残ります。だから我々はゲーム音楽に惹かれるのではないでしょうか。その「思い入れ」こそがゲーム音楽の最大の魅力であり、思い入れの中にしか解釈の正解は存在しないと思っています。音楽性云々はもはや関係ありません。

当時小学生でスマブラ64に熱中していた我々の、スマブラ続編がGCで出ると知った時の興奮が分かりますか? 発売まで日々カウントダウンし、同時にあらゆる交渉術を駆使して親を説得し、やっと真四角の本体とソフトを手に入れた時の安堵感を想像できますか? 無数に近い起動したスマブラで毎回聴いたメニュー画面の音楽の高揚感を共有できますか? それはもう全てが思い出であり、その時に鳴っていた音楽が名曲でないはずがないのです。

 

パーフェクトダーク オリジナルサウンドトラック

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ゴールデンアイ007の続編として開発されていたが版権の都合? などでボンドが出演できなくなり、急遽システムはほぼそのままでキャラクターやシナリオをオリジナルに書き換えて発売されたFPS。3年ほど間隔が空いているため、学年によってゴールデンアイ派とパーフェクトダーク派にきっかりと分離されるのが特徴である。

これまたBGMが良い……インダストリアルなR&B?なのだが、作品の世界と完全に融合しており、どこまでも冷静な音楽である。PCM音源っぽいパッド音など最高である。これぞニンテンドウ64! という音がします。是非何らかの手段でサントラを聴いてほしい。

ここで一つ出てくるのが制作会社の「レア社」という切り口である。スーパードンキーコングやバンカズといった伝説的なゲーム(音楽)を手がけた海外メーカーで、本作でも制作を担当している。売却されるなど色々大変な目に遭っているが、音楽の素晴らしさの一要因は間違いなくレア社の功績によるものである。

 

マリオパーティ 1

https://www.youtube.com/watch?v=IZFL7O0JvyE&list=PL0CCCA9B0F8C65F1D&index=2

クロノ・トリガーで知られる光田康典による最高の仕事。

現在まで続くマリオパーティの第一作目。BGMは全て良い。良い以外の修飾が無い。

(ゲーム自体は名作であるにも関わらず、64の3Dスティックを手のひらでグリグリし過ぎて健康被害に繋がった事例があったためか現在でもVCなどで配信されることはなく、幻のソフトになりつつある…実況者のキヨ氏も手のひらの皮が向けたとキレてた)

光田っぽくはないといえばそうだが、ラテンを意識しつつ自らのオリジナリティを絶妙なバランスで組み込んだ作曲は素晴らしいの一言(メニュー画面に当たる「のどかなキノコむら」なんて光田康典感とマリオパーティ感が高度に昇華されていて素晴らしいよね)。「2」以降は作曲者が変更されてしまったことが悔やまれる。

最終ステージ「えいえんのスター」はTVのボリュームを絞って真夜中まで攻略本片手に詰めていたのが忘れられません。そういえばこのゲームはサードパーティのハドソン提供だったせいもあるのか、攻略本が仕様を踏まえて異様に丁寧に親切に書かれていたので何だか戸惑った記憶があります。

ミニゲームの一人用「のっかれボール」、皆さん覚えていますか…?

 

ツイッターで作曲者の光田氏本人がゲーム中のレインボーキャッスルに言及していて最高。フリーで初めての仕事なのにあれだけのクオリティを出せるというのが…

https://twitter.com/yasunorimitsuda/status/462939861733744640

またこれはずいぶん前のものだが、本人が丁寧にQ&Aしてて最高。こういうインターネット文化、あまり見なくなりましたね。

http://www.procyon-studio.com/special/qa_2002.html

 

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この手の話題だといくらでも思い出が出てくるのだが特に思い出深い3つを取り上げてみた。(でも他にも、自分の世代ではない星のカービィSDXを実機プレイしたいがために隣町まで含めてスーパーファミコンとソフトを探し回った末に起動して聴いたOP画面の音楽が忘れられないとか、そういう思い出は無数にある。あの頃はAmazonも何もなかったし、町の中古ショップもそれなりに充実していた。それで良かったじゃないですか…)

結局、YouTubeなどで良いなと思えるゲーム音楽に出会えたとしても(それ自体を否定するつもりは全く無いが)それはゲーム音楽では既にあらず、というのが私の主張である。単にその音楽はゲーム音楽に近しい何か、でしかない。懐古趣味と言われればそれまでだが、ゲーム体験という思い出を心から愛でる人間の前に音楽性云々言う人間が現れたらそれは無力ですし、全くすれ違うと思うのです。

ゲームをプレイしていようとしてまいと、音自体は確かに変化しないが、未プレイで音楽だけ聴いているとしたらそれは最も重要な体験部分が抜け落ちており、これに伴って音楽への魅力も減じられていることは間違いないと思う。これは潮流とかそういうものとは無関係の事実だと信じたい。これはもうどちらが正しいとかの問題ではなく、立場の違い、言わば宗教観の違いである。

こうした問題点を全て飲み込んだ上で整理したというのは無論わかるが……ゲーム体験から分離された批評にどうしてもどうしても納得できない部分がある。繰り返すが、これはもはやゲーム音楽に対するスタンスの違いである。

なぜなら、それほどまでにユーザにとってゲームの体験の記憶というのはかけがえのないものだから……